2008年04月18日

山形市蔵王地区の見どころ

今年度は私の住む山形市蔵王地区について書いてみたい。

*成澤城は最近整備が進んでいて、大山桜がきれいに咲き始めています。4月27日(日)9時〜14時頃まで観桜会を開きますので、お誘いあわせの上お出かけください。
そこで第1回は成澤城について、成沢郷土史研究会が作られた資料を公表いたします。


第1回 成澤城
成澤郷土誌では
1.大極兼義 2.大極播磨 3.大極兵庫
 
初代 大極兼義 直家の6男、子供の次男満久は清水城へ(文明8年1476)
2代 鳴沢義総 本来なら最上当主になる人であったが、伊達家から意地悪されて、最上家と伊達家の内紛がその後和解まで100年に及ぶ。
3代 鳴沢義佑 義総の子供(道休)で関東へ、のち信州で戦死
  「(郷土誌)大極兵庫没収江戸に赴く。その後道仲まで不明。」
4代 鳴沢義清 義佑の妹と氏家伊予守定直との子供で道忠の父
  「(郷土誌)道忠天正6年(1578)在城豊臣秀吉よりの預け人」
 小白川町の西光寺に太鼓を享禄3年(1530)寄進(市重要文化財)
5代 成沢道忠 道忠より14代当主が滋賀県に在住していることが 判明して、にわかに脚光をあびる。常善寺に天正10年(1564)し だれ桜を寄進している。出羽合戦の屏風絵に戦う勇士あり。
 最上家の内紛で自ら伊達藩松島に移住して帰農する。
6代 坂紀伊守光秀 成澤一族以外で、初めての城主。
 これは慶長5年(1600)の長谷堂合戦により、半月に及ぶ砲弾を浴 びながら、長谷堂城を死守した志村城主が酒田の亀ヶ崎城主に栄転 したため、成澤から移転したため判明(13000石)。漆坊の清 源寺に大きな肖像画があります。
7代 氏家尾張守邦綱 最上家最高の17,000石の禄高になる。
 最上義光の台頭期の参謀は氏家尾張守守棟系統で、氏家左近丞は成 澤道忠の子供で義光の三女竹姫を妻として側近中の側近である。(山形藩)屋敷は東大手門の前、元の県立病院など1200坪(40 00u 50m×80m)の敷地を持つ重臣家老であった。
8代 氏家尾張守親定 邦綱の子供。最上家改易により長州毛利藩預 けとなる。
 毛利藩の屋敷は現在も山口市の高台にあり重要文化財として観光の 目玉としている。

*最上家の改易等、次回に続く
posted by 笑み at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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